5.湯太(ゆうた)のわんぱくふれあい日記

公開日 2013年02月25日

ぼくの名前は湯太(ゆうた)。小学6年生。

おじいちゃん(65歳)、おばあちゃん(63歳)、お父さん(35歳)、お母さん(35歳)それに弟の湯二(ゆうじ、小学3年生)の6人家族。

ぼくの家は、代々登別で、はきもの屋を営む老舗(おじいちゃんの言葉)だ。お父さんで5代目ということだけど、ひょっとしたら、ぼくが6代目になるのかもしれない。

今は、シューズプラザ「フットワーク」とかっこいい店の名前だけど、おじいちゃんのそのまたおじいちゃんの時代には熊熊野下駄店」と言う屋号で、まちのひとからは「丸クマ」さんと親しまれていたそうだ。

そう言えばおじいちゃんの古いアルバムには、100年位前の店の写真が貼ってあって、古い木づくりの店の正面には、何だか重々しい感じで熊野下駄店と言う木の看板がかかっていた。

それから、今の店の横にも飾ってあるけど、テラノザウルスが履くみたいな巨大な下駄の看板がちゃんとかかっていたのを見たことがある。

ぼくは、いま、毎日の出来事を日記に書いている。

登別の6年生は、1年間日記をつけることになっているんだ。お父さんの時代からそうだったらしい。そして、その時代もやっぱり、大人の人が子供の日記のあとに感想を書いてくれることになっていたとのことだ。ぼくの日記にはお父さんが感想を書いてくれているけど、お父さんのときは、隣のケーキ屋さんのおじさんに頼んだそうだ。

お父さんが小学6年生、隣のおじさんが、23歳。登別選抜サッカーチームのキャプテンで、すごくかっこよくて、お父さんが憧れていたので頼んだそうだ。

当時のお父さんの日記もお母さんの日記も大事に保存されているので読んだことがある。お父さんたちにも子供の頃があったのかと思うと何だか嬉しくなるよ。

登別っ子の暮らしのひとコマを湯太くんとお父さんの交換日記を通して紹介します。

[6月4日(日曜日) 天気:晴れ]

(湯太)

午前中、お母さんと弟とぼくの三人で郊外のファームポートに行ってきた。ファームポートは、郊外の酪農地帯の愛称だ。

登別は、農村の田園風景をいかしたグリーンツーリズムと言う観光農業が盛んで、農業体験をしたり、自然の中で遊んだり、ゆっくりとくつろぐために全国から人が訪れる。

この地区のセンターハウスでは、いろんなアトラクション(人を引きつける催し物)が行われ、来る人を楽しませている。それに手作りハムやソーセージ、ここでしぼった牛乳でつくったアイスクリームなどを売っているので、ぼくの大好きなところの一つだ。

センターハウスの工芸館では、工芸教室が開かれていて、できた作品の展示即売もやっている。今日は、お母さんが参加している工芸教室の作品展示会があるのでやってきたんだ。店の中を覗いてみると市民の人や観光客でいっぱいだった。お母さんの作品は、まだ、一つも売れていなっかたけど、お母さんは、別に気にしないと言っていた。展示期間が終わったら、養護老人ホームのお年寄りにプレゼントするつもりだ。

昼食は、センターハウスの中庭でバーベキュー。登別でつくられた牛肉や羊肉、それに新鮮な野菜、前浜でとれた魚介類もある。となりの席に座っていた家族は農村体験をしに東京から来た人で、1週間ファームステイ(農家に滞在すること)をするそうだ。お昼ご飯を食べた後、センターの指導員に教えてもらいながらその人たちと牛の乳しぼり。おもしろかった。

午後、登別芸術劇場へ。ここは、ミュージカルや映画、演劇のための劇場。僕たち子供向けの催しものもたくさんあって、時々友達と見に来る。

今日は、市民手づくりのミュージカルが上演される日だ。実はこのミュージカルにお父さんが出演することになっている。お父さんは若いころ演劇の道を志したことがあり、本当は映画スターになりたかったと、いつか話してくれたことがある。

本当かどうかはよくわからないけど、靴屋さんの学校を卒業した後、店を手伝いながら市のフリースクールの芸術コースに入学して演劇の勉強をしていたそうだ。フリースクールは、職業を持ちながら専門的な勉強をするためにある学校で、誰でも、学びたいものを、学びたいときに、学べる特色のある学校だ。

先生は専任の教師のほか、市内に住んでいる大学の先生や、お医者さん、弁護士さん、小中学校の先生などボランティア講師もいていろんなことが学べるところだ。お父さんが自慢していたけど、登別は本当の意味での生涯学習のシステムが確立しているということだそうだ。


(お父さんから)

お父さんは、映画スターになりたいと思ったこともあったけれど、おじいちゃんの働く姿を見ていて、お父さんも立派な靴職人を目指すことにし、高校を卒業してから靴屋さんの学校に入ったんだよ。その学校を卒業したあと、もっと本場で勉強したいと思ってイギリスに留学したことは前にも話したけれど、その時に演劇と出会ったんだ。

登別に帰ってきて生涯学習センターのフリースクールに演劇のコースがあることを知ったから勉強することにしたんだよ。


[6月5日(月曜日) 天気:くもり]

(湯太)

午前中、学校で健康診断。

学校医の先生が児童一人ひとりの健康カードをコンピューターに入れて、今までのデータを見ながら検診をしてくれた。お医者さんのほかに、子供センターの相談お姉さんも来てくれていて、ぼくたちの悩みなんかも聞いてくれた。今のところぼくの最大の悩みは、サッカーチームでレギュラーになれないことだ。

ぼくは自信があるのにどうしてなれないのだろうと相談したら、お姉さんはしばらく考えていて、「湯太くん、オフサイドってしってる」と言ったんだ。

よく考えてみると「はっきりとはわからなかったような気がする」と言ったらお姉さんは「ドリブルの練習をすることも大切だけれど、ルールをもっと知ることも大切ね」と言ってくれた。「確かにそうだな」と納得。

午後からは、「お湯っこ ふれあい 児童クラブ」の日だった。ぼくは高学年なので小さな子供たちの面倒をみなければいけない。ボランティアのお姉さんと相談して1・2年生の子供の面倒を見ることにした。

先週の日曜日の子供広場の時プレイリーダー(指導者)から教わったゲームをした。このゲームは危険回避ゲームといってアメリカで発明されたゲームだけれども、遊びを通して火事や地震、水害などの災害から自分で身を守る方法を身につけるものだ。とはいっても、基本はあわてず、冷静にお父さんやお母さん、先生の指示に従うことなんだけれども、ゲームが面白いのでみんな夢中になって楽しんでくれたよ。


(お父さんから)

お前の今日の日記を読んで、なぜお前がレギュラーになれなかったかがわかるような気がするよ。相談お姉さんが言う通り少しルールの勉強をしたほうがよさそうだ。

湯太が行っている「お湯っこ ふれあい 児童クラブ」だが、本当にいいクラブだと思う。いろんな年の子供たちが協力し合って何かをするというのは、貴重な体験だ。 お前は上級生なので、自分が楽しむことばかりでなく、小さな子供たちに何をしてやれるのかを真剣に考えて欲しい。

それから、児童クラブは今、学校で開かれているけど、登別の学校は単に「子供が学ぶ場所」だけではなく「地域の人たちがふれあう場所」としても大事な役割を持っているんだ。

プールや体育館、グランドは地域の人たちの楽しい交流の場として利用されているんだ。また、湯太も知っているように、防災器材などを備えたスペースも学校内に置かれていて、学校は災害がおきたときの地域での防災拠点として整備されているんだ。

[6月6日(火曜日) 天気:雨]

(湯太)

今日は、コンピューター学習の日だから、学校には行かなかった。その代わり「シティワーク」をした。

「シティワーク」は子供たちが最初に行政というものを学ぶ課題学習だ。小学校6年生になったらそれぞれが月に一度「シティワークセンター」にまちづくりについての意見やアイデアを提案するんだ。

今日のぼくの提案は、「自動犬洗い機の設置」というものだ。うちの犬の「ポチ」を洗うのは、ぼくと弟の仕事になっているけど、そのたびにポチがはしゃぎすぎて、苦労するので、自動犬洗い機があればその悩みも解消できると思うからだ。早速、コンピューター通信で「シティワークセンター」のデータベース(情報や資料を組織的に記録整理したもの)に入力した。

このデータベースには、子供たちばかりではなく大人や、国際会議とか観光などでここのまちにきた人の意見も送られてくるそうだ。そしてその意見をもとに、月に一度マルチメディアシステム(映像、音響、活字などいくつもの情報媒体を組織した方式)を使って行われる「いきいき推進市民ネットワーク」で検討され、まちづくりに生かされるんだ。

(お父さんから)

湯太の提案をお母さんに話したら、お母さんから逆提案があった。それは、「自動こども洗い機」だ。

お前たち兄弟はお風呂に入っても遊んでばかりいて、ロクに頭や身体を洗わないので「自動こども洗い機」があればお母さんの悩みが解決されるからだ。「自動こども洗い機」を使わなくともお母さんの悩みが解決できるようにしてあげたらどうだろう。

[6月8日(木曜日) 天気:晴れ]

(湯太)

今日は4時間授業。午前中は「生活」と「数学」。午後からは「芸術」と「自然」。どれも好きな授業だ。

今日の「生活」の授業は、国際クラスの子供たちとの合同学習だった。国際クラスは、外国の子供や生まれたときから外国に住んでいて帰ってきた子供が入っているクラスで、日本語や日本の文化を学んでいる。

今日の合同学習では、それぞれの国の生活について子供たちの体験を発表し合うものだった。世界にはいろんな暮らしの姿があるのかとすごく面白かった。すごく話がはずんで、ランチの時間も皆んなでワイワイやっていたら、第9学年のおにいさんやおねえさんも入ってきて、いっそう話がもりあがった。

ぼくたちのランチタイムは、学校の食堂でのバイキング方式だ。1年生から9年生まで思いおもいに昼食をとることになっていて、本当に楽しい時間だ。

放課後、国際クラスのヘレーネと中央図書館に行った。ヘレーネは、蝶が好きで、日本の蝶について調べたいというので、ついてきた。中央図書館の司書のおねえさんに相談したら、コンピュータ通信を使って、日本蝶類センターから映像で日本の蝶の資料を引き出してくれた。ヘレーネは大喜びだった。

夕方、学校のグランドで、サッカーの練習。土曜日に市内の大会があるので練習にも熱が入る。

(お父さんから)

お父さんの時代に残っていた学習塾とか入学試験などということばがなくなって、いい時代になったと思うよ。今の教育は、子供たちの豊かな個性や感受性を最大限生かすことを基本に、すすめられているから、湯太もいきいきと勉強できるんだね。

科学や自然を学ぶと同時に、芸術や社会生活の基本というものをしっかり学んでほしいと思う。

[6月9日(金) 天気:曇りのち晴れ]

(湯太)

今日は、ちょっと鼻が高かった。というのも、今日の午後の「まちの知恵の輪」授業にぼくのおじいちゃんとおばあちゃんがやってきたからだ。

おじいちゃんが、「下駄博士」、おばあちゃんは、「温泉博士」。「下駄博士」っていう名前はおかしいけど、本当の名前は、「下肢(かし)健康医学博士」というむずかしい名前の専門家だ。ことばがむずかしいから、みんな「下駄博士」といっているんだ。

おじいちゃんは本当に良い靴をつくるためには、人間の足の骨格や筋肉、それに歩行の特徴をよく知っていなければならないと言って、若い頃、放送大学の通信講座で健康医学を学んだということだ。

おばあちゃんは、50歳になったとき、生涯学習センターの温泉学講座を2年間受けて「温泉博士」の資格をとったんだ。今は、温泉のクアセンター(温泉とスポーツセンターとを組み合わせた健康増進のための施設)で温泉療養に来る人たちのボランティア健康指導員として活躍しているんだ。

「知恵の輪」授業は、地域のいろんな専門家の話を聞く授業だ。ぼくたちばかりでなく、先生も本当にためになると言っているよ。

(お父さんから)

お父さんもおじいちゃんやおばあちゃんを見習おうと思う。おじいちゃんは、「人間一生学習」ということばが好きで、実際に暇を見つけては、勉強しているし、生涯学習センターに通って、生涯学習アドバイザーの先生といつも何かを相談している。いつまでも、学び続ける心をもつということは、大切なことだと思う。

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